東京地方裁判所 昭和61年(ワ)7435号 判決 1989年10月27日
原告 有限会社 サンコー
右代表者代表取締役 倉島壯吉
右訴訟代理人弁護士 笹原桂輔
同 草葉隆義
同 笹原信輔
被告 大須賀章
右訴訟代理人弁護士 田中紘三
主文
一、原告の請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1. 被告は原告に対し、金一億円及びこれに対する昭和六一年六月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2. 訴訟費用は被告の負担とする。
3. 仮執行宣言
二、請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二、当事者の主張
一、請求原因
1. 原告は婦人服等の衣料品の輸入販売を業とする株式会社であり、兵庫栄二(以下「栄二」という。)は株式会社カレッヂ(以下「カレッヂ」という。)の代表取締役、被告はその取締役である。
2. 原告はカレッヂに対し、昭和六〇年六月から九月までの間に別紙商品目録記載の商品を売り渡し、右売買代金の支払のためにカレッヂが振り出した別紙約束手形目録記載の約束手形三六通(額面合計一億二四三七万五六七六円。以下「本件約束手形」という。)の交付を受けた。
ところがカレッヂの経営状態は昭和六〇年七月ころから極めて悪化し、同年一〇月二六日、同月二八日に手形の不渡事故を起こして倒産した。その結果、原告は本件約束手形を現金化することができず、売買代金を回収することが不可能となって、右額面合計と同額の損害を被った。
3. カレッヂは、株式会社ダイエー(以下「ダイエー」という。)への販売を見込んで仕入れた昭和五九年冬物商品一億五〇〇〇万円分の納入を拒絶されたため、大量の不良在庫を抱えて資金不足をきたし、取引銀行からの借入金が融資限度額まで増大した。栄二はこれに対し、仕入商品を増やして売上高と利益を拡大することにより、右在庫の処分が可能となる昭和六〇年一〇、一一月までを乗り切るという経営方針を立てた。
しかしながら、昭和六〇年五月末、カレッヂにおいて、運転資金がなお一億五〇〇〇万円も不足していたから、右の営業拡大の方針が負債を累積させるという失敗の結果に終わっていたことは明らかであり、さらに、市中の金融機関からは借入を拒絶され、高利金融に手を出して在庫商品を担保として投げ出さざるを得ないなど、もはや正常な資金調達からかけはなれた無理な借り入れをしなければ毎月の決済ができず、いつ不渡事故が生じてもおかしくない状態にあったにもかかわらず、栄二は原告からの商品の仕入取引を継続し本件約束手形を振り出したものである。
4. 被告は、カレッヂの常勤取締役として商品の仕入に携わっており、カレッヂが多数の不良在庫を抱えていたこと、栄二がカレッヂの資金繰りに窮し高利金融に手を出さざるを得ない状況にあったことを了知しながら、カレッヂの営業・財務状況、栄二の業務執行状況を自ら調査して正確に把握することなく、栄二がカレッヂを代表して原告との前記取引を行うについても、これを漠然と放置して何ら意見を述べず、取締役会の開催を求めることもなかったのであるから、取締役としての監視・監督義務に違反した重大な過失があったというべきであり、その結果原告は前記損害を被ったものである。
5. よって、原告は被告に対し、商法二六六条ノ三第一項による損害賠償請求権に基づく損害金一億二四三七万五六七六円の一部として一億円及びこれに対する損害発生の日より後である昭和六一年六月二二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、請求原因に対する認否
1. 請求原因1の事実は認める。
2. 同2のうち、カレッヂの経営状態が悪化し、手形の不渡事故を起こして倒産した事実は認める。その余の事実は知らない。
3. 同3のうち、カレッヂがダイエーから冬物商品の納入を拒絶され、大量の不良在庫を抱えて資金不足をきたしていた事実は認める。昭和六〇年五月末、カレッヂにおいて、いつ不渡事故が生じてもおかしくない状態にあったとする点は否認する。その余は知らない。
4. 同4は争う。
三、被告の主張
1. カレッヂ倒産の直接の原因は、カレッヂが在庫商品を担保として提供し資金を借り入れていた石田太良(以下「石田」という。)によって、取引先や金融機関に対しカレッヂの倒産を予告する情報を流されたことにある。こうした第三者の信用毀損行為を阻止することは不可能であるから、原告の主張する被告の任務懈怠と原告の損害発生との間には因果関係がないものである。
2. 栄二は、カレッヂが倒産の危機に瀕してからも、その存続を志向して実行可能なあらゆる資金繰りの手立てを講じており、会社の縮小破綻を回避して業容を拡大・維持するために、取引先である原告と従前と変らぬ態様で取引を継続していたに過ぎず、その際、カレッヂの危機状態を原告に告知しなかったからといって何らの問題はないのであるから、栄二に業務執行者としての重過失を問擬すべき無謀な経営行為はない。栄二に悪意・重過失がない以上、取締役としてこれを監視する立場にあった被告においても悪意・重過失を問題にすることはできない。
3. 被告は自身の知見と能力に基づいて、栄二の経営行為に対し可能な限りの適切な助言を繰り返しており、右カレッヂの窮状においても在庫一掃の必要性を強調し続け、栄二が危険人物と目される石田と接近した際もその阻止に努力していた。カレッヂの取締役はいずれも員数合わせで就任したものであり、仮に取締役会を開催したとしても、これを正常に機能させることは極めて困難であったから、被告は被告の長女で栄二の妻である兵庫千津恵(以下「千津恵」という。)を介して、別途前記の適切な助言を行っていた。また、被告は、無償で自宅の土地建物をカレッヂの借入金の担保として提供するなどの協力も惜しまなかった。
したがって、被告は取締役としての職責を果たしており、その職務執行に悪意・重過失はなかったというべきである。
4. 原告の代表者倉島壯吉は、カレッヂに対して長期間にわたる巨額の信用供与を繰り返しており、栄二とも昵懇の間柄であったから、本件約束手形にかかる取引を行った際にも、その信用状態・内情について知悉していたか、少なくとも重大な過失によってこれを知らなかったものである。したがって、原告は被告に対し損害賠償を請求することはできない。
5. 原告は、カレッヂに対し、四〇〇万円を超える債務についてその全額を免除しており、これに伴い被告に対する損害賠償請求権も消滅した。
6. 本件約束手形金債権は、遅くとも平成元年二月一〇日までに、右にかかる売掛金債権についても二年間(民法一七三条一号)の経過により時効消滅しており、これに伴い被告に対する損害賠償請求権も消滅した。被告は右時効の利益を援用する。
四、被告の主張に対する認否
1. 被告の主張1は争う。石田が取引先などに情報を流さなくともカレッヂの倒産は不可避であったもので、石田の行為はカレッヂの倒産原因ではない。
2. 同2ないし4は否認ないし争う。
3. 同5のうち、原告による債務免除の事実は否認し、その余は争う。
4. 同6は争う。
第三、証拠<省略>
理由
一、請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二、同2のうち、カレッヂの経営状態が悪化し、手形の不渡事故を起こして倒産した事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、その余の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
三、カレッヂの経営の実情と倒産に至る経緯について判断する。<証拠>を総合すれば以下の事実が認められる。
1. 栄二は、昭和四七年、それまで個人で行っていた婦人服の製造販売業を会社組織に発展させることになり、同人が出資金のすべてを負担することによりカレッヂを設立して東京都渋谷区に事務所を置き、自らその代表取締役となった。他の取締役には、滋賀県に在住する同人の父兵庫久蔵(以下「久蔵」という。)、千津恵及び被告が就任した。カレッヂ設立当初は従業員四名、売上高は年間一億五〇〇〇万円程度であり、仕入れた生地の加工を第三者に委託して製造された商品の販売を主な業務内容としていたが、昭和五一年ころからは完成製品の仕入れ・販売を開始し、徐々に韓国など海外を仕入れ先とする取引の比重が拡大していった。売上高も昭和五九年二月決算では一二億円余、従業員も約二〇名に増えるなど会社の規模も順調に成長していった。なお、商品の仕入代金の支払方法としては約束手形が多用されており、昭和五八年二月決算以降の貸借対照表上、常に支払手形残高は受取手形の総額を大きく上回っていた。
被告は、当初カレッヂの業務にまったく関与しておらず、名目的に取締役の一員となっていたに過ぎなかったが、それまで嘱託で勤続していた会社を定年退職した昭和五一年以降、一般の従業員の給与より低額(昭和六〇年当時、月一八万円程度であった。)ながら報酬を得てカレッヂに常勤し、もっぱら在庫商品の管理をその担当業務とするようになった。しかしながら、カレッヂの業務執行はほとんどが栄二の独断で行われており、取締役会が開催されることも全くなく、特に栄二が経理や資金繰りについて被告から口をはさまれることを嫌っていたこともあって、被告は、その担当業務を離れて、カレッヂの営業や経理の実態を把握するには至らず、決算報告書の作成時もこれに目を通すことなく捺印に応じることが常であった。他方、被告は、カレッヂが銀行から運転資金の融資を受けるについて、自宅の不動産を担保として提供しており、義父という立場から栄二に経営者としての姿勢を説いたり、従業員の処遇について注意を与えたりすることもあった。
2. ダイエーは、昭和五二年の取引開始以来、毎年二億円から三億円程度の商品を納入しているカレッヂの最大の取引先であった。カレッヂは、昭和五九年五月ころ、ダイエーから冬物商品約三億円分の大量の一括注文を受け、同年一〇月ないし一二月の納入を見込んで、韓国で製造された商品(仕入額は二億五〇〇〇万円であった。)の輸入を行った。ところが、ダイエーは、昭和六〇年一月になって、暖冬を理由として突然右商品のうち仕入値で一億五〇〇〇万円(卸売値で約一億八〇〇〇万円相当)分の納入を一方的に断ってきた。
栄二は、既に冬物衣料の処分の時機を逸していたこと、ダイエーが大半の商品を必ず次の冬物のシーズンである同年一〇月ころから順次買い入れてゆくと約束したこともあって、そのまま右商品を在庫として抱えこむこととしたが、ダイエーから入金を予定していた一億八〇〇〇万円相当の資金不足が生じることとなったため、同年二月ないし三月には東海銀行に対しカレッヂ社屋及び被告の自宅について新たに極度額合計八〇〇〇万円の根抵当権を設定するなどして、取引銀行からの借入金を融資限度額一杯の約二億円まで増やして資金の手当てを行った。その結果、カレッヂの短期の借入金は約一億二〇〇〇万円に達し、このうち昭和六〇年五月ないし六月までに返済を要する借入金も四〇〇〇万円にのぼっていた。
そこで、栄二は、借入金の返済や金利負担に対処するために、当面売上高を増やし利益を増大させて資金的余裕を生みだすことを目指し、商品の仕入量も増加させるという方針をとるところとなった。しかし、実際にはカレッヂの売上高は若干増加したにとどまり、銀行への返済資金を生み出すには至らず、かえって昭和六〇年六月初めころには、仕入量増加にともなって振り出した支払手形の決済期が到来して所要資金の増加を招いており、銀行からの追加融資も思うにまかせない状態にあった。しかし、前記五月ないし六月期限の借入金については、弁済期を同年八月ないし九月まで猶予してもらうことで何とか窮地をしのいだ。
この間、栄二はそれまでの銀行からの借入金を他の金融機関に借り替えることによって融資総額と手持ち資金を増やすことを計画し、帝都信用金庫、城南信用金庫に三億二〇〇〇万円の融資を申し入れたが、担保物件の評価が融資の希望額に見合わなかったことから実行には至らなかった。
そこで、栄二は、ダイエーに納入できなかった在庫商品を担保にして融資を得ることを計画し、資金力のありそうな取引先すべてに融資方を申し入れ、仕入値で一五〇〇万円の商品を担保として提供することによって、興和紡績から同額の融資を得ることができたが、その余はいずれも断られていた。同年五月末ころには、大阪の繊維業界の実力者で資産家であるという石田を取引先から紹介され、一億円の在庫商品と二七〇〇万円の約束手形を担保に差し入れたうえ、右商品のダイエーへの売却時期とのかねあいから弁済期を同年九月末日と定めて、月利二・五パーセントで二七〇〇万円の融資を受けたほか、別途額面六〇〇〇万円の約束手形も交付し、その割引を依頼した。
そのほか、栄二は、同年六月以降、取引先である相田喜一郎(以下「相田」という。)から、毎月一、二回、利息月四パーセント、弁済期一か月ないし一か月半の短期で、一回あたり担保に提供した商品の仕入原価の八割に相当する一〇〇〇万円ないし二〇〇〇万円を運転資金として借り入れ、その返済を繰り返していた。また、同年八月には、それまで資金面で協力を仰いだことのなかった久蔵に対し、急遽その所有不動産をカレッヂへ担保提供するよう強く要請し、久蔵がこれに応じた結果、ようやく同月九日には株式会社フヨー、貝崎秀夫から弁済期日を同年一一月一一日とする六〇〇〇万円の借り入れが実現し、その借入金すべてを同年八月一二日及び一五日が満期日の約束手形の決済資金に充てて、急場をしのぐなどしていた。
こうして、栄二は、資金繰りに努めていたものの、銀行など金融機関から新たな融資は得られず、商品納入先であるアトリエ・ジュンから代金支払のために受け取った第三者振出の廻り手形額面合計三八〇〇万円分が同年六月以降不渡となったことも重なり、カレッヂの資金繰りはますます逼迫していった。
カレッヂは、同年九月末日までに石田からの前記借入金二七〇〇万円を約定どおり決済したが、担保に供した商品が石田から返還されなかったため、予定していたダイエーへの納入も不可能となった。同人に割引を依頼していた約束手形も三〇〇万円程度しか入金が得られなかったにもかかわらず、その余の手形も第三者の手に渡ってしまったうえ、同年一〇月五日ころから、カレッヂが倒産寸前であるという情報が石田によって流されたため、仕入先から商品の納入を拒否されるという状態に陥り、営業活動の継続もままならなくなってしまった。
そのころ、ローン会社であるファーストファイナンスに担保物件を全部集めて新たな融資を受けるという話がまとまりかけていたが、実行直前の同月一八日になって急に断られたため、カレッヂは目前に迫った手形の決済資金に窮することになった。そこで、カレッヂは、株式会社アイチ(以下「アイチ」という。)から同月二〇、二一日に利息日歩八銭ないし一五銭で合計二億四八〇〇万円の融資を受けたが、その際、従前の銀行からの借入金はすべて返済し、それまで担保に供していた不動産物件は、商品卸売による売掛金債権、受取手形などと併せ、いずれもまとめてアイチへの担保に供することになり、被告も改めて自宅の担保提供に応じた。こうしてカレッヂは、同月二〇日及び二三日が満期日の支払手形の決済を終えたが、その後の資金の都合がつかず、ついに同月二六日及び二八日に支払手形が不渡となり倒産するに至った。
3. 右カレッヂが倒産に至るまでの間、被告は、在庫管理を担当していた関係上、ダイエーから商品納入を断られたことによる在庫の増加について、具体的数量を含めて十分に把握しており、その結果として、カレッヂの資金繰りが圧迫されていたこと及び栄二が資金繰りに奔走していたことも漠然とではあるが認識していたから、栄二に対し在庫を一掃処分すべきであるといった助言を与えはしたが、進んでそれ以上の具体的な打開策を示すには至らなかった。右の状況のもとでも、業務執行を栄二が専断的に行うというカレッヂの会社経営の実態は従前と変ることはなく、取締役会開催の機会もまったくないままであった。この間、被告は、栄二の求めに応じ、東海銀行に対する新たな担保提供に応じるくらいで、経理や資金繰りの状況について心配はない旨の説明を受け、これをそのまま信用していたものであり、被告の側から栄二に対し更に詳細な報告を求めたり、これを独自に調査したりすることはなかった。このため、前記認定の栄二がとった金策の具体的内容は把握しておらず、カレッヂの振り出した支払手形の決済の見込についても疑いを抱いたことはなかった。しかし、被告は、石田からの融資話については不振を抱き、調査の結果、石田が詐欺の前科を有する人物であることが判明したため、栄二に対し取引の中止を強く求めたところ、栄二が在庫管理を担当する被告に関知されないよう商品の払出を帳簿にも載せないまま独断で担保提供を実行してしまったため、石田との実際の取引内容については、石田がカレッヂ倒産の情報を流し取引先が混乱に陥るまで窺知できないでいた。
前掲乙第二ないし八号証中には、カレッヂの業務に対する被告の関与形態につき、右認定に反する部分があるが、反対趣旨の被告本人の供述に照らして採用し難い。他に右認定に反する証拠はない。
四、ところで、企業経営は、多かれ少なかれ不確定要素による影響を免れ難く、常に失敗の危険を内包せざるを得ないものであるから、結果から見て失敗と目されるものがあったとしても、行為当時の客観的状況に照らして合理的な根拠の存在を前提としてなされた判断であれば、経営者の業務執行上、当然に許容された裁量の範囲内の行為とみるべきであって、これを直ちに任務懈怠ととらえ法的責任を追及することは相当でない。経営状態が相当程度悪化している企業においても、取引行為の将来における決済の見込について、より慎重な判断が経営者に求められることはいうまでもないが、経営の存続を前提とすれば営業活動にともなう新たな債務負担は避け難い場合が通例であるから、右に述べたところは基本的に何ら変るところがない。栄二がカレッヂの代表取締役として、原告との間で取引を継続し、本件約束手形を振り出したことの当否についても、こうした観点から検討しなければならない。
前記認定事実によれば、カレッヂ倒産の原因は、暖冬異変に伴うダイエーの注文取消によって在庫商品が増加し、資金繰りが逼迫したことと、右窮状において石田に担保提供した商品が、債務を返済したにもかかわらず、約束に反して返還されなかったことに求めることができる。前者について、栄二に何らかの責任を認めることは困難であるが、後者のうちの栄二の担保提供について、一面では、被告の忠告に耳を貸さず、自らも石田につき十分な信用調査を行うこともなく、独断専行によったとの謗りを免れ難い。
本件約束手形のうち最初のものが振り出された日である昭和六〇年六月一五日以前において、カレッヂは、既に担保物件の再評価や他の金融機関からの借り替えによる融資拡大策並びに取引先に対する融資方の折衝に手段を尽くしており、銀行借入など従前から常態的に行われていた金融手段によっても、在庫商品を担保とした金融手段によっても、資金不足を解消することが困難で、かろうじて、同年五月ないし六月決済の短期借入金の弁済について銀行から猶予を得たほか(こうした猶予を繰り返し得られる見込があったと認めるに足りる証拠はない。)商品を担保として石田及び相田らから短期かつ高利の金融を得ることにより当面の不渡・倒産の危機を回避していたというべきである。そして、カレッヂのとった仕入拡大策が失敗に終わり、このことが資金繰りをますます逼迫させていたことを併せて考えれば、栄二について、原告と取引を継続し本件約束手形を振り出すにあたり、数か月先にわたる決済の見込がなく、原告に損害をもたらす虞が強いことを認識すべきであったとみる余地がないではない。
しかし、前記認定のとおり、栄二は、石田へ担保提供した商品を昭和六〇年九月末までに受け戻して、同年一〇月早々にダイエーに納入し、その代金を手形決済などの資金に充てることを予定していたのであるから、昭和六〇年六月一五日ないし同年九月六日の時点で、石田を信頼して資金繰りがつくと考え本件約束手形を振り出したことをもって、直ちに不合理な判断と断定するには、なお疑問が残るものというべきである(石田は当初から右商品を詐取する意図であったことが強く推認されるが、融資の話に応じたこと自体が無謀かつ不合理なものとは未だ認めるに足りない。)。
五、そこで、すすんで被告の取締役としての監視・監督義務違反について判断する。
取締役は、取締役会の構成員として、代表取締役の業務執行一般が適正に行われるよう監視・監督する義務を負うものであるから、それが取締役会に上程されない事項であったとしても、違法ないしは不適正な業務執行が行われていることを知っていたか、これを知りうべき立場にあった取締役は、当然に適切な監視・監督のための措置をとる義務を負うべきである。そして、このこと自体は、代表取締役などの業務執行者が会社経営の専権を握っており、取締役会が形骸化して、実際的機能を果たしていない会社においても、等しくあてはまるところといわなければならない。
ただ、右任務を全うするため各取締役に要求される措置の具体的内容、その措置の適否を判断することや、それを現実に実行に移すことの難易については、会社の規模や経営の実態、その他時々の状況に応じて著しく異なってくるから、業務執行の実態を満足に把握できなかったり、あるいは取締役会の開催の問題も含めて監視・監督のための措置をとれなかったといった、形式的な取締役としての任務懈怠があるからといって、それが直ちに重過失に基づくものであるとするのは相当でない。
これを本件についてみると、被告は、カレッヂにおける不良在庫の増大という事実をその担当業務から知悉しており、漠然とはいえ栄二が資金繰りに難渋していたことを認識したものの、カレッヂの経営状況、資金繰りについてその詳細を具体的には把握しておらず、栄二の本件約束手形振出行為が決済見込のないものであるとは認識していなかったことが明らかである。そして、被告が右のような状況のもとで栄二に報告を求め、あるいは自ら調査に努めたり、さらに取締役会の開催に及んだりしなかったことは、形式的には取締役としての任務懈怠に該るとしても、栄二が業務執行を独断専行的に行っており、資金繰りの内容を被告に明らかにするについて非協力的であったこと、殊に、カレッヂ倒産の直接の原因の一つとなった石田に対する商品の担保提供について秘匿していたことを考慮すると、被告は、これを把握し得る立場になかったというべきであるから、いまだ被告に重大な過失があったということは困難である。
したがって、前記四で述べた、直接の業務執行者たる栄二の判断の当否はしばらく措くにしても、原告が被告の監視・監督義務違反、任務懈怠として主張するところは、いずれも被告に対する損害賠償請求の根拠とならないものというべきである。
六、以上判断してきたところによれば、その余について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石垣君雄 裁判官 高野伸 吉田徹)
<以下省略>